2006年9月12日作成
今 日 昨 日

写真をクリックすると新しい窓が開き 拡大写真(1400x975)377KBが表示されます(以下同じ)

広島県廿日市市宮島町(厳島神社)
 

                  




 
玉取祭(たまとりさい)

江戸時代から伝わった行事で、昔は延年祭(えんねんさい)といわれ、厳島神社の大鳥居近くの海で行われる年中行事である。現在は8月の正午前後が満潮に当たる日曜日に行われている。海中に組んだやぐらに、注連縄を張り宝珠を乗せた地盤を上下に動かす。それに裸の若者が肩車をして飛びついて宝珠を落とす。その後、海中での争奪戦となり、最後に注進所に宝珠を持込んだ者には幸運が約束されるといわれている。


火焼前(ひたさき)から玉取祭が行われる海を望む

午前10時ちょうどに拝殿で神職らによって「玉取の祭典」が厳かに始まった。30分ほどで祭典は終り、宝珠(ほうじゅ)を持って拝殿を出て、火焼前(ひたさき)から舟に乗り、海中のやぐらの下まで向かった。

拝殿での祭典


宝珠を持ち火焼前(ひたさき)から舟へ
 
玉取祭の由来

玉取祭はおよそ400年前の京都総本山仁和寺(にんなじ)で行われていた「延年の舞」という祝いの行事が起源とされる。延年の舞は、年を延ばす祝行事で、当時は厳島神社の拝殿に木彫りの福神像を載せた1m四方の台を吊り、その台の下に「延年坊主」という僧侶を伏せさせ、その周りを他の僧侶が取りまき、「延年坊主」の御霊を台上の福神像に移す儀式が行われていた。そしてこの儀式が終了すると、町の若者達が先を争って台上の福神像を奪い合うようになったことが、宮島の玉取祭の由来といわれている。


高さ8mのやぐらの下に到着した宝珠(ほうじゅ)


やぐらに吊るされた宝珠
拡大写真(1300x861)142KB

午前10時半を過ぎた頃、控え室からふんどしや海水パンツに着替えた男たちが続々と拝殿前に集まってきた。男たちは入水の合図があるまで周辺で待ち、満潮が近づく10時45分頃、火焼前から一斉に海に入った。

赤い六尺褌で登場の若者たち


白の六尺褌も登場


真夏の陽射しに映える六尺褌
拡大写真(1300x861)162KB

満潮となった10時50分、地元の男たち約80人がやぐらの下に集まり、宝珠の争奪戦が始まった。宝珠台には樟(くす)で作った直径21cmの宝珠がしっかりと固定され載せてある。この宝珠台を、係員が火焼前から綱を引っ張り上下させる。男たちは人間ピラミッドを組んで、上下に揺れる宝珠台を目掛けて相次ぎジャンプする。

争奪戦開始! やぐら周辺に集まった男衆


肩に乗りゆっくりと立ち上がる
拡大写真(1300x970)228KB


人間ピラミッドを組んでいく
拡大写真(1250x996)180KB


思いっきりジャンプする
拡大写真(1400x975)377KB


海中へとダイブ


Copyright (C) 2004-2007 Akio Chiba. All Rights Reserved..