2005年10月3日作成
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愛媛県松山市勝岡町(勝岡八幡神社)



                   





愛媛・松山地方の秋祭りである「勝岡八幡神社の一体走り」を取材した。勝岡町は松山市街地の北西方向に位置し、瀬戸内海に面した所にある。


松山城より勝岡町方面を望む
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松山市街地を抜け、車で30分ほど海岸沿いを走って行くと、免許教習センター近くに勝岡八幡神社があった。

 
勝岡八幡神社の本殿

勝岡八幡神社の拝殿
  
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勝岡八幡神社(かつおかはちまんじんじゃ)

本殿の奥には拝殿がある。中は広いスペースがある。学問と家内安全のご利益があり、毎月5のつく日には学業成就祈願祭が行われる。
その昔、孝霊天皇の孫にあたる小千命
(おちのみこ)が国造として在任中、白人城(うらどじょう)において賊を平定(へいてい)した際、その勝ち戦にあやかり、「勝岡」と呼ぶようになったとされている。


一体走り (いったいばしり)

一体走りの起源は不明であるが江戸中期に既に行われていたことが記録として残っている。由来は勝岡八幡神社が朝廷から宮号と菊花の紋章を下賜(かし)された際、当時、勝岡の特産品であった塩を朝廷に献上した。以来、勝岡の塩は珍重され、裸の若者たちが塩を担いで御用船(ごようせん)まで運んだことから、神事として伝承されてきたものであるという。地区ごとに赤・青・黄に色分けされた「御絹(おきぬ)」と呼ばれる覆い布と、鈴のついた神輿を褌を締めた青年9〜10名が担ぎ、鈴が鳴らないように水平に保って、約100mの参道を一気に駆け抜ける勇壮な祭りである。 この祭りは昭和48年8月(1973年)に松山市無形民俗文化財に指定された。


勝岡八幡神社の上り口にある石碑

祭りの当日、朝早く神社に行くと、もうすでに氏子たちは宮出しの準備を終えて出発の時を待っていた。

朝5時半過ぎ・宮出しを待つ子供神輿

本殿の中には勝岡周辺の6地区の神輿が据えられていた。夜が明け始めた6時頃に開催の挨拶が行われた後、神輿の宮出しが始まった。


本殿で開催の挨拶をする青年
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                     本殿より神輿の宮出しを行う            高浜町一丁目の神輿

宮出しの順番は、安城寺(あんじょうじ)・和気(わけ)町一丁目・太山寺(たいさんじ)・和気町二丁目・高浜(たかはま)六丁目・高浜一丁目・子供神輿と昔から決まっている。このあと行われる一体走りの順番も同様である。

                  本殿前の境内で神輿を練り上げる         高浜町一丁目の神輿

全ての神輿が境内での神輿練りを行ってから長い石段をお旅所へと下って行った。昨年優勝した和気町二丁目の青い神輿が下ってきた。優勝といっても実はこれは輪番制で毎年決まっているという。最初の2回くらいはタイムや走りなどを審査していたというが、揉め事があったためそれ以来中止したとのことである。

 優勝旗を持つ和気町二丁目の子供たち
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お旅所に向かう高浜町一丁目の神輿
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お旅所に七体の神輿が到着した。ここからスタートして参道を東に向かって一体走りを行う。スタート時刻まで各地区ごとに神輿練りを行う。観客も集まってきた。

お旅所に並んだ七体の神輿
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和気(わけ)町一丁目の神輿練り
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一体走りは、お旅所から東に延びる参道を一直線に駆け抜ける。距離は100mほどで、ゴールは石灯籠のある勝岡橋付近である。7時30分過ぎに神職の通り抜けが行われて一体走りが始まった。

最初に神職が参道を通り抜ける
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トップは安城寺の黄色の神輿である。青年たちは黄色の鉢巻と帯に、白の越中褌を締めている。ぴったりと一致した呼吸、流れるような直線美に観衆は拍手喝采。美しいフォームは祭礼前の連日の練習による賜物である。

安城寺の一体走り
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