2007年3月18日作成
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   静岡県 磐田市 (見付天神社)

  




見付天神裸祭(みつけてんじんはだかまつり)

毎年旧暦8月10日の直前の土・日曜日にかけて行われる。東海道遠州見付に千年以上前から伝わる矢奈比売(やなひめ)神社(見付天神社)の大祭で、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。見付天神の祭神・矢奈比売命(やなひめのみこと)が、神輿に移され遠江国の総社である淡海国玉(おうみくにたま)神社へと渡御する際に行われる祭で、渡御に先立ち裸の群衆が町中を練り歩き、拝殿で乱舞することから「裸祭」と呼ばれている。祭り自体は、元天神社の「祭事始」から始まり、「御斯葉(みしば)おろし」、「浜垢離(はまごり)」、「御池ノ清祓(みいけのきよはらい)」、「大祭(宵祭,神輿渡御,還御)」の順に日を追って行われる。


霊犬・しっぺい太郎の像が立つ 見付天神社の入口

見付天神社の拝殿
   見付天神社(みつけてんじんじゃ)

見付天神社は、正式には矢奈比売神社(やなひめじんじゃ)
と呼ばれる。菅原道真公を勧請して後、見付天神あるい
は矢奈比売天神などと、天神の呼称が用いられるように
なり、見付天神社の名が定着した。創立年月は、明らか
ではないが、延喜式内社に列しており、古くは元天神
(磐田市元天神)の地に祀られていた。いつの時代にか
現在地に奉還されたが、その年月もまた明らかではない。
怪物(ヒヒ)を退治した霊犬・悉平(しっぺい)太郎の伝説
の舞台ともなり、参道には、悉平太郎の像が建てられて
いる。


平成18年9月30日夜から翌1日未明にかけて大祭が行われた。それに伴い、30日の夕方、拝殿では大祭に先立って神事が執り行われた。

神職たちの記念撮影(拝殿前)
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神服の下は褌を締める

霊犬・悉平(しっぺい)太郎の伝説

その昔、8月になると、どこからともなく、白羽の矢が家の棟に突き立てられた。その家では、娘を供犠に立てなければならず、家主は、娘を生きたまま棺に入れ、見付神社の森の奥深くに置いてくる慣わしがあった。真夜中、怪物(ヒヒ)が現れて、娘を食い殺してしまう。毎年続くこの人身供犠に苦しむ人々の話を知った旅の僧は、怪物が信濃の国の悉平太郎を恐れていることを聞き出す。僧は、早速信濃の国を訪れ、悉平太郎を探し出し、この犬を連れて見付に戻って来た。次の年、娘の代わりに悉平太郎を棺に入れて供えものとすると、真夜中に怪物が現われた。棺から飛び出した悉平太郎は、怪物(ヒヒ)に飛び掛り、食い殺した。このことがあって、悉平太郎は、「人々を救った勇敢な犬」として、見付天神社に祀られるようになった。


巫女(みこ)と拝殿内の神輿(みこし)


近くの店には腰蓑とわらじが売られている

子供の練り

午後6時過ぎ、各町の子供たちが町内回りを終え、見付宿場通りに繰り出してきた。練りながら見付天神社へ行き、拝殿前で練ってから再び見付宿場通りに戻り、そのまま総社(そうしゃ)へ行き参拝する。


陽気な子供の練り


拝殿前での子供練り


元気いっぱいの子供たち

午後8時30分過ぎ、各地区の集会所では 出発の準備に掛かる。 午後9時の煙火一発を合図に、 山車(だし)と呼ばれる万灯(まんどう)を先頭に、「オイショ、オイショ」の掛け声で提灯を持って町内を練り回る。

出発前の男衆


念入りに身支度をする
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山車(だし)と呼ばれる万灯(まんどう)を持つ

男たちの出で立ちは、ふんどしを締め、晒しで腹を巻いた上に腰蓑を付け、 鉢巻きをして、草鞋を履いている。

町に繰り出す男たち


提灯を持つ男衆


オイショ!オイショ!と町を練り歩く
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