2006年5月11日作成
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広島県呉市 警固屋(けごや)

                   




音戸の瀬戸 (おんどのせと)

約800年余り前、平清盛が、巌島神社に至るために切り開いたと伝えられる、呉市と倉橋島のわずか90mの狭い海路である。今は瀬戸内海航路の要衝であるが、潮の流れが速いため難所としても知られている。昭和36年、真っ赤な音戸大橋(アーチ型らせん式高架橋)によって呉市と陸続きになった。


ツツジ咲く音戸大橋
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音戸の瀬戸公園 (おんどのせとこうえん)
平清盛が、夕日を招き返して1日で切り開いたという伝説の「音戸の瀬戸」にある名勝地。4月上旬には2,300本の桜、5月上旬には8,300本の紅白のツツジが咲き乱れ、海と音戸大橋がマッチした素晴らしい景観が訪れる観光客を魅了する。ツツジの名所としても有名な所である。

音戸の瀬戸公園の位置
資料

ツツジの丘から眼下に見る音戸大橋


満開のツツジと音戸大橋
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音戸大橋 (おんどおおはし)
「瀬戸内の銀座」とも呼ばれる幅90mの音戸の瀬戸に架かる主橋梁長172mの真紅の橋。1,000トン級船舶の航行を可能とするため、螺旋(らせん)式とループ式の取付道路をもつ高架橋として、総工費3億6,200万円をかけて1961(昭和36)年12月に完成した。

音戸大橋とループ橋


音戸の瀬戸を見下ろす
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音戸の瀬戸公園のツツジ

吉川英治文学碑
吉川英治が小説「新平家物語」の執筆中に、音戸の瀬戸を訪れた際に残した感慨の句、「君よ今昔之感如何」を刻んだ富士形の石と、平清盛になぞらえた円形の石が、音戸の瀬戸公園の高台の一角に建てられている。

高台にある吉川英治の文学碑

ツツジが満開のこの時期は、大勢の観光客や花見客がこの景観を見にやってくる。公園内では家族連れなどがツツジの木々の間に陣取って、宴たけなわに盛り上がっていた。

花見客と音戸大橋


音戸大橋の東側に広がる安芸灘

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