2005年7月28日作成
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岡山県笠岡市


                   




 
笠岡市重要無形民俗文化財 「おしぐらんご」
“ひったか”と同じく源平合戦を起源とする金浦(かなうら)に伝わる伝統行事の「おしぐらんご」が2005年6月12日に岡山県笠岡市で行われた。 源氏と平家の2隻の和船に別れて、ふんどし姿の地元保存会のメンバーら6人が乗船し、スーピードを競い合う毎年恒例の行事である。  漁業の近代化に伴い木造船の新造と漕ぎ手が徐々に減少したため昭和35年に中止されたが、昭和62年に地元の有志により復活し、今年3月に笠岡市重要無形民俗文化財に指定された。 “おしぐらんご”の語源はこの地方の方言で櫓(ろ)を漕ぐ事を“押す”といい、競争する事を“ぐらんご”ということから「漕ぎくらべ」が変化したものである。



金浦地区(かなうらちく)
金浦地区は昔は漁村だったが、昭和52年に漁業は全廃となった。今は趣味として使われている船がいくつか係留されているだけである。瀬戸内の海がすぐそこに迫っていたのは遠い昔のこと。今の金浦湾は干拓地に挟まれていて海まではかなりの距離がある。また背後には源氏が立てこもった東の山・行者山(ぎょうじゃやま)、平家が陣取った西の山・妙見山(みょうけんやま)がある。ここで「ひったか」が前夜行われた。    

金浦湾の背後に連なる行者山(右)と妙見山(左)
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和船競漕コースの中間地点にある船着場は昨年の台風で被害を受けて使用出来なくなったが、保存会の人たちの努力によって新設された。競漕に使う和船は、行者丸(ぎょうじゃまる) 妙見丸(みょうけんまる) 五月丸(さつきまる) 兜丸(かぶとまる) 龍宮丸(りゅうぐうまる) 乙女丸(おとめまる)の6隻で、白幟が源氏方の行者山軍を、赤幟が平家方の妙見山軍を表している。

 新設の船着場に係留する6隻の和船
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12時頃になると開会式に向かうため参加者たちが船着場周辺に集まり始めた。小学生、中学生、外国人留学生、そして保存会の人たち約60人がやってきた。留学生と大人は紅白のふんどし姿である。

船着場に集まった参加者たち
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そのころ金浦湾の奥にある竜宮亭 (老人憩いの家)では、関係者らによる神事が行われていた。屋内での神事を終えると外に出て、すぐ横にある神社で宮司らが「おしぐらんご」の始まるにあたって祈りを捧げた。

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 金浦湾を臨む神社での祈り

満潮となる頃、6隻の和船が竜宮亭の前に集合した。宮司によるお祓いの儀式を受けたあと、各和船ごとに舳先にお神酒を注いでお清めを行った。

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竜宮亭の前に集合した和船

おしぐらんごの開催に先立って、金浦ひったか・おしぐらんご保存会会長の酒井宏侑(さかいひろゆき)さんに続いて高木直矢(たかぎなおや)笠岡市長(64)の挨拶があった。酒井さんは今年3月に市重要無形民俗文化財となった
指定書を手にしていた。高木市長はブルーのTシャツで現れた。今年開催される岡山国体のバスケットボールの会場が笠岡市である。その専属ユニホームで登場した。


保存会会長の酒井宏侑(さかいひろゆき)さん 高木直矢(たかぎなおや)笠岡市長
  
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午後1時ちょうどに第1レースが始まった。保存会VS保存会のレースである。白幟・源氏方の五月丸と赤幟・平家方の兜丸である。一隻の和船には6人が乗っていて「それ押せ!」の勇ましい掛け声が聞こえてきた。

    保存会(五月丸)VS保存会(兜丸)のレース    
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和船競漕は2隻で行い、金浦橋(かなうらばし)の手前からスタートし、中央の船着場の前を通過して奥の竜宮亭前のゴール地点までの約300mの距離を競う。全部で6レース行われるが各レースで先着を競うだけであり、タイムの計測などは行わない。

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  白いふんどしの五月丸


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デッドヒートする五月丸(赤)と兜丸(白)


                 躍動する漕ぎ手                    
        
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昔のおしぐらんご

   漁をしたあとに、港にいち早く持ち帰り高値で売ろ
うとして先陣を競っていた。それが原型である。
やがて毎年の恒例行事となったが、船はその年の
新造船が使用され、勝てば船主から椀飯振舞
(おうばんぶるまい)
があったため喧嘩もめずらしくなく
「喧嘩ぐらんご」の異名をもつ。喧嘩がエスカレート
して結局ゴールしない事もしばしばあったらしい。
かつては屈強の男たちが2kmの距離を競っていた。





和船の分担

   和船に乗る6人にはそれぞれ分担がある、舳先
に竹竿を持つ人が水棹(みざお)と呼ばれ、相手
の櫓を外したりして妨害する役目を持つ。
はねこと呼ばれる人は、竹竿の先につけた布を
海水に浸けて相手の船をめがけて水をかける。
これも妨害目的である。
あとの4人は櫓を漕ぐ人で、とも櫓、前櫓、後前櫓、
どう櫓と呼ばれている。



 ゴール前のラストスパート
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僅差で競り勝った兜丸の褌6人衆
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