2005年12月16日作成
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中国・河北省 北京市


                   




天安門広場

天安門から正陽門まで南北880m、人民大会堂から歴史博物館まで500m。世界最大の広場といわれ、長安街を含めると100万人を収容できる。1989年6月4日に起きた民主化を求める学生や労働者と政府とが衝突した「六四事件」などは記憶に新しい。現在は、中国各地からの観光客や外国人の観光コースとして賑わいを見せている。特に日出、日没時間に実施される中国旗の掲揚や降揚式は有名である。


 広大な天安門広場


天安門前を守る警備員

天安門
北京の顔ともいえる天安門は、紅殻(べにがら)色の城壁と瑠璃瓦に彩られた高さ34mの2重の城門楼で、明・清代皇城の正門であった。1420年に「承天門」として創建されたが、戦火で焼失。1651年に再建され「天安門」と改名された。もともとは皇帝の詔書が発布されるところであった。1949年10月1日、毛沢東により、ここで中華人民共和国の建国が宣言された。天安門は故宮(紫禁城)の入り口にあたる。

毛沢東主席の肖像がかかる天安門
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天安門のレイアウト
資料
  
故宮の配置

故宮(こきゅう)

北京の中央、天安門の北側にあり、かつては紫禁城(しきんじょう)と呼ばれた。明、清朝二代の宮城だったので、"もとの宮殿"の意味から故宮と呼ばれる。紫禁城は明朝の第三代皇帝永楽帝が南京から遷都し、元の宮城跡に築いたもので、明末には大破壊をこうむったが、清がそのあとを受け継いで復興に力を注いだ。故宮は外朝と内廷に大別される。外朝は大典や公の行事を行う場で、太和殿、中和殿、保和殿の3殿からなる。内廷は乾清門の奥にある乾清宮、交泰殿、坤寧宮、東西6宮などの宮殿群からなっている。


中国最大の宮殿建築の木造門「太和門」

太和殿
故宮の中心の太和殿。4書のひとつ『周易』の最初の「乾」の項に「太和を保合する」とある。つまり「天皇たるもの天の調和をよく保つならば、天下は自ずと平らかになる」との意から「太和殿」と命名されたといわれている。

広大なスペースに建つ太和殿
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保和殿
1420年に創建された。減柱法がとられ、宝座前の6本の柱が取り除かれ広い空間になっている。明代、皇后の印璽(いんじ)を授与する「冊立」の儀式が太和殿で行われるとき、ここで礼服に着替え、太和殿に赴いた。

保和殿


行き交う観光客


映画「ラストエンペラー」の撮影の舞台となった長西街


乾清門前の金獅子の像


清朝の皇帝に関係する宝物が展示されてる皇極殿

九龍壁(きゅうりゅうへき)

故宮には全部で3箇所の九龍壁があるがその一つ。1771年に彩色瑠璃瓦で作られた。長さ29.4m、高さ3.5mと小型ではあるが色彩が素晴らしいとされ、中国3大九龍壁の一つになっている。「九」は、最大の陽数であり、皇帝の尊さを表したものである。


9つの龍が躍る九龍壁
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故宮(紫禁城)の北門となる神武門


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