2006年4月5日作成
今 日 昨 日

写真をクリックすると新しい窓が開き 拡大写真(1250x812)129KBが表示されます(以下同じ)

岡山市 西大寺(西大寺観音院)


                   

---



 
日本三大奇祭 西大寺会陽(さいだいじえよう) 
毎年2月の第3土曜日の夜に、岡山市の西大寺観音院の境内で行われるこの祭りは、室町時代から500年近く続く伝統行事で、岩手黒石寺の蘇民祭、大阪四天王寺のどやどやと並び、日本三大奇祭として知られている。深夜零時に御福窓(ごふくまど)から投下される2本の宝木(しんぎ)をめぐり、約9.000人の裸群が激しい争奪戦を繰り広げる日本屈指の裸祭りでもある。天下太平、五穀豊穣など「五福」の祈願が込められた宝木を手に入れると福男と呼ばれ、この一年の福を授かるといわれている。

国際的な裸祭りのポスター(2006年用)

宝木が投下される西大寺観音院の本堂
拡大写真(1250x828)182KB


垢離(こり)取場にかかる竜鐘楼(石門)

会陽(えよう)の由来
約1200年前、安隆上人(あんりゅうしょうにん)が寺を創設したとき、奈良東大寺の僧侶である実忠上人(じっちゅうしょうにん)により修正会(しゅしょうえ)が伝えられたことに始まる。修正会とは正月に修する法会の意で、14日間、十数人の僧侶が天下泰平、五穀豊穣、万民繁栄の祈祷を施すことである。そして満願の日に一年の御福を授ける意味で牛玉(ごおう)(右から西大寺、牛玉、宝印と書かれた護符)を信徒の年長者などに授けたところ、農家は作物がよく穫れ、厄年の人は厄を免れたといわれた。その功徳ゆえ皆が奪い合うようになり、紙では破れてしまうので、約500年前の当時の住職が、牛玉の紙を直径4cm、長さ20cmの木製の宝木(しんぎ)に替え、群がる信徒に投げ込むようになった。この時初めて「会陽(えよう)」と名付けられた。

 (資料)  
 裸の順路
 @仁王門(におうもん)から入る
 A石門(いしもん)をくぐる
 B垢離取場(こりとりば)で水ごりを取る
 C本堂大床(ほんどうおおゆか)に上がって祈願
 Dそのまま牛玉所権現(ごおうしょだいごんげん)に参拝
 E裸が練り合う場と決められた四本柱(しほんばしら)をくぐる
 F再び本堂に参る
  という順序を踏む。

午後9時を過ぎた頃、トップを切って一つのグループが境内にやってきた。相当な常連グループらしく、堂々とした風格が漂う。会陽冬花火が打ち上げる中、子供たちを肩車して境内を一巡する。

花火をバックに行進する常連グループ
拡大写真(1200x840)123KB


境内の四本柱をくぐって行進する
拡大写真(1250x828)127KB


子供たちを肩車する常連グループ
拡大写真(1250x828)156KB

白まわしに白足袋姿の男たちは「裸(はだか)」と呼ばれる。午後10時頃、「わっしょい、わっしょい」の声をあげ、裸たちが繰り出してきた。仁王門をくぐると垢離取場(こりとりば)に向かう。冷水で身を清め、本堂で祈願した後、牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)、四本柱(しほんばしら)を巡り、再び本堂の大床(おおゆか)やその周辺に集まる。

垢離取場(こりとりば)に飛び込む岡山大学のグループ


垢離取場から上がる大学生


企業名入りの横断幕を持って飛び込むグループ

境内に集った裸群の中には、宝木の争奪戦前に何回となく垢離取場の冷水に入り身体を清め、精進して福が授かるように祈願をするグループも見られる。

阿波踊りのポーズで垢離(こり)を取る若者
拡大写真(1200x885)228KB


次々と垢離取場に駆け込んでいく

西大寺には企業や町内会の控え所、簡易テントの着替え場が随所にある。裸はそこから隊列を組んで町に繰り出してくる。「わっしょい!、わっしょい!」の威勢のよい掛け声だけが町中に響き渡る。

企業名入りの鉢巻を締めた”企業はだか”
拡大写真(1250x828)135KB


学生グループの行進
拡大写真(1250x773)142KB


「わっしょい!、わっしょい!」
拡大写真(1250x812)129KB

境内に向かう団体の列には容赦なく力水が撒かれる。こうすることで士気を高め気合を入れる。

沿道から力水が撒かれる
拡大写真(1250x804)187KB

---

Copyright (C) 2004-2007 Akio Chiba. All Rights Reserved..