2005年12月16日作成
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中国・遼寧省大連市
                 

      




旅順 (りょじゅん)
大連から南に45Kmの遼東半島の突端にある中国有数の良港。日露戦争の史跡などが数多く残り、日本と歴史的な関わりの深い町である。東鶏冠山北堡塁及び二〇三高地は観光の名所となっている。

東鶏冠山(ひがしけいかいざん)にある北堡塁(きたほうるい)

日露戦争の際、東鶏冠山にロシア軍が堡塁(ほうるい)を築いた。旅順を守るロシア軍堡塁の中でも最も強固な要塞でもある。幅10m、深さ6mあるという。

保塁の内部

ここでは日本兵が800人戦死したという。外壕の壁には銃痕が多数あり、激しい戦闘が行われたことを生々しく物語っている。周辺の大地にも塹壕(ざんごう)が山を取り巻くように造られている。

銃痕だらけの外壕の壁 
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大地を這う塹壕(ざんごう)

水師営会見所 (すいしえいかいけんしょ)
日露戦争の旅順開城の際(1905年1月5日)、日本軍司令官 乃木希典とロシア軍司令官 ステッセルが歴史的会見を行った場所である。中には両国の代表が集まった写真など当時の様子を伝える写真が展示されている。

日露戦争終結の舞台となった水師営会見所
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二〇三高地
旅順の北西約2kmにある小丘で、標高203m、日露戦争の激戦地として知られている。ロシア軍隊の陸地防御の最高点だった。二〇三高地を攻略したことにより、ここに観測兵を置き、旅順港内のロシア軍艦を海軍砲で砲撃することによって、港内のロシア艦隊は全滅した。日露戦争では日本軍隊は死傷6万212人、ロシア軍は死傷1万8千余人の被害者が出た。今は途中まで車で行き、10分ばかり坂を登っていくと頂上に達する。

籠に乗り二〇三高地に向かう観光客


二〇三高地の頂上

頂上には戦争の記念碑が建っている。乃木大将命名の「爾霊山」の文字が刻まれていた。二〇三を「にれいさん」と読み替えたと言われている。記念碑に向かい思わず合掌・・・・・。


二〇三高地の頂上に建つ日露戦争記念碑
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頂上からは5Km先の旅順の市街や港を眼下に一望することが出来る。かつて日本軍がここから大砲を打ち、旅順港に停泊中のロシア軍艦を撃沈したという場所に立って遠望してみると何やら複雑な思いがした。


二〇三高地から見下ろした旅順港
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大連は日本の歴史上、関わり深い都市である。特に旅順は日露戦争の舞台となった所で余りにも有名である。この旅のあと、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだ。壮絶な戦いがこの地であったことを思い浮かべながら読んでいった。今の平和な日本から考えると想像もつかないほどの出来事である。戦争がいかに醜く卑劣なことなのか、この旅を通して思うとともに、世界の平和を祈らずにはいられなかった。

 2004年6月3日撮影: Finepix  S7000 (FUJIFILM)  


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