2006年4月18日作成
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高知県 高知市

                

      




2004年11月から城の石垣改修工事が着手され、所々赤い土が剥き出しとなっている。改修工事は2007年3月末まで続く予定で、城内には立ち入り禁止区域が設けられている。

NHK大河ドラマ「功名が辻」のポスター

石落し・しのび返し
敵が攻めてきたら石を落して攻撃する。また、敵が石垣をよじ登っても、しのび返しがあるので攻め入ることは出来ないようになっている。

敵を防ぐ構造のしのび返し

詰門(つめもん)
2階には本丸を守る侍の詰所がある。詰門は本丸への道を間違わせる役目がある。また、入口と出口が筋違いになっていて、通り抜けが出来にくい構造となっている。

詰門(筋違いの門) 

一豊(かずとよ)の妻の銅像
「一豊の妻」といえば内助の功のお手本として知られている。17歳の頃、一豊と結婚したがそのとき持ってきた10両の大金を出して名馬を買わせ、「馬揃え」という儀式で織田信長の目にとまり、出世の糸口になったとのこと。そんなエピソードを像にしたもので、山内家といえば、思い出されるくらい有名な話となっている。

山内一豊の妻の像
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桜は高知城のある大高坂山一帯の「二の丸」、「三の丸」、北側の「すべり山」などに、ソメイヨシノを中心に、ヤマザクラや八重桜など7種類、合わせて約400本ある。樹齢は50〜70年くらいである。

坂道に咲く満開の桜

石樋(いしとい)
高知は特に雨が多い土地である。排水が石垣に当たらないよう石樋を造っており、土台にしみ込んで、地盤が緩んでしまわないように工夫がしてある。

城壁に突き出た石樋
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板垣退助(いたがきたいすけ)の銅像
板垣退介は、明治時代の政治家で、明治維新後では幕府を倒して、新しい日本をつくるために活躍した。その後、自由民権運動を展開し、リーダー的存在となった。1881年(明治14)自由党総裁となり、全国的に活動し、憲法発布、国会開設へと向かわせたことは有名。1882年(明治15)岐阜での遊説途上、暴漢に襲われ、「板垣死すとも自由は死せず」の名言を残した。

民主主義の先駆者・板垣退助の像
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山内一豊(やまうちかずとよ)の銅像
山内一豊は、1545年(天文14年)、愛知県岩倉の地に生まれた。豊臣秀吉に仕え、秀吉死後は、徳川家康に味方し、1600年(慶長5)関ヶ原の合戦で功績を上げ、土佐24万石の初代藩主となり、高知城を築城した。銅像は、馬にまたがって長い槍を持ち堂々としている。

馬にまたがる山内一豊の像
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三の丸から見た天守閣
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お壕沿いに咲く高知城の満開の桜





  
春の高知城を訪ねた。南国高知は近隣のどこよりも早く桜が開花する。また、寒い冬が過ぎ、待ち望んだ春が一番にやってくる場所でもある。今回の旅は、歴史ある高知城と周辺に咲く満開の桜を見てまわることで心が洗われる思いがした。
 2006年3月25日撮影: ニコン D70   227枚(333MB)   



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