2015年5月4日作成
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北海道 網走市

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 資料より   北海道開拓当時の囚人が連行される様子(博物館網走監獄)
 
 
 
   


網走の玄関口(JR網走駅)

 博物館 網走監獄
 網走刑務所の建築物群を天都山中腹に移築・復元し、人形などを各所に配置し北海道開拓の歴史や当時の受刑者たちの暮らしを再現している野外博物館。特に5棟が放射状になっている木造平屋の舎房は国内で実存しているのはここだけ。昭和61年まで使われていた、独居房・雑居房合わせて226房がある。

博物館の入口に架かる鏡橋 「流れる清流を鏡として我が身を見つめ、自ら襟を正し渡るべし」との思いが名前の由来



通称「赤レンガ門」と呼ばれる網走刑務所正門 (現在の刑務所と同じ形をしている)
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網走刑務所正門に建つ、北海道開拓当時の囚人の像


明治45年から昭和62年まで使用された「総瓦葺切妻造り」の庁舎(中には売店があります)


別名「動く監獄」と呼ばれた「休泊所」(塀の外に出て作業をする時はこのような仮小屋で寝泊まりしていた)


四六時中監視されている「休泊所」の朝飯の様子(麦飯に具なしの味噌汁)


網走刑務所二見ヶ岡農場 屋内での作業風景


馬を使った屋外での耕作風景(網走刑務所二見ヶ岡農場)


中央見張りを中心に、5本の指を放射状に広げたようになっている「五翼放射状舎房」



五翼放射状舎房には、雑居房(3〜5人)126室と独居房(1人)100室ある


廊下の向こう、房の上部にふんどし姿の男が見える
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     白鳥由栄(しらとりよしえ)1907年〜1979年   (28歳の時、強盗殺人の罪で刑務所に服役)
白鳥由栄は戦前、戦後にかけて4度の脱獄を繰り返した。青森、秋田に次いで戦時中の1944(昭和19)年、彼が3度目に脱獄したのが、この五翼放射状舎房の第4舎第24房。扉の視察孔の鉄格子を揺すり続けネジをゆるめて外し、天窓を頭突きで破って逃げた。

昭和の脱獄王と呼ばれた白鳥由栄の脱獄シーン
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まさに天窓を突き破らんとする脱獄王 白鳥由栄


 網走刑務所での入浴風景


独立型の独居房は、1囚1房とする監獄   真夜中、屋根を破って監獄する受刑者 
 
 
   

網走刑務所

網走刑務所は北海道網走市にある、国内最北端の刑務所。刑期10年未満で、年齢が26歳以上の犯罪傾向が進んでいる受刑者(B指標受刑者)を収容する短期累犯刑務所です。現在の収容定員は1560名。


現在の網走刑務所(正門)
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現在の網走刑務所の赤レンガの塀


塀の外には網走川がゆっくりと流れています


網走川と山に囲まれて、ひっそりと佇む現在の網走刑務所



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