2006年12月17日作成
 
 
 
        岩手県奥州市水沢区黒石町        




蘇民将来(そみんしょうらい)
日本各地に伝わる逸話、及びそれを起源とする民間信仰である。備後風土記にの逸文によれば、昔、北海に坐す武塔神(むとうしん)が旅の途中で、将来兄弟の家に立ち寄り宿を乞うたところ、裕福な弟・巨旦(こたん)は断り、貧しい兄・蘇民(そみん)は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、この蘇民将来の真心を喜び「蘇民将来之子孫也」と記した護符(お守り)を授けた。これで一家は疫病を免れ無事に過ごしたとされている。これが「蘇民将来・護符」のゆえんである。

「ジャッソー・ジャッソー」の掛け声が響く (柴燈木登り)


ジャッソー!!
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柴燈木(ひたき)の上で気勢を上げる
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柴燈木(ひたき)登りをしている間に、本堂に続く階段を一段ずつ清めていく神事が執り行われる。柴燈木から燃えている丸太を抜き取り、それを持って、掛け声とともに階段を強く叩きつけながら登っていく。本堂入口には保存会の人が仁王立ちして待ち構えている。さらに進み、本堂に入ってその場を清めていく。

本堂に登る階段を火で清める


資料

本堂(薬師堂)に登壇
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午前0時から、祭り案内所で、明け方の蘇民袋争奪戦参加者の受付登録が始まる。ここで「黒石寺 蘇民祭」の朱印がある褌と足袋を購入することができる。

寒さを吹き飛ばす柴燈木(ひたき)登り



別当登り(べっとうのぼり)−−午前2時から

鐘の合図で社務所に集まり、手木(祓棒)が祓人(はらいびと)に配られ、別当(住職)並びに蘇民袋を持った総代が守護役、祓人に前後を守られながら、ホラ貝、太鼓を従えて本堂(薬師堂)に登り、護摩焚き供養を行い、参拝者、祈願者に護摩(ごま)を授ける。護摩:ヌルデの木などを燃やして煩悩(ぼんのう)を焼却し、併せて息災・降伏などを祈願する修法




鬼子登り(おにごのぼり)−−午前4時から

鬼子は数え7歳の男児2人で、麻衣をつけ、一人は斧(木製)、もう一人は木槌を持ち、鬼面を逆さに背負い、庫裏の水屋で素裸で水垢離をとった大人に背負われて、たいまつと共に行列を組んで本堂(薬師堂)に登り、参拝する。鬼子は山の神でもあり農の神でもあるといわれている。


庫裏(くり)の水屋で素裸で水垢離をする役付人


鬼子登りの開始
資料

大人に背負われた麻衣を着た鬼子(おにご)
撮影:鈴木藤男さん

鬼子を背負った大人が火の囲りを3回まわりながら火の上を飛び越していく。その後、水が撒かれ火が消されて、堂内は一面の白煙の世界となる。そしてクライマックスの蘇民袋の争奪戦と向かっていく。



燃え盛る炎を飛び越える鬼子
撮影:鈴木藤男さん


蘇民袋争奪戦−−午前5時から

鬼子登りの儀式が終わると、蘇民袋(そみんぶくろ)争奪戦が始まる。蘇民袋の中には、ヌルデの木〔将軍木(かつのき)〕を削って六方形とし、「蘇民将来子孫門戸☆」の九文字が書かれた小間木(寸角に切った護符)が入っている。庫裏の水屋で水垢離をとった”袋出し”と呼ばれる男衆(5〜6名)が蘇民袋を抱き現れ、「蘇民将来!」と3度叫ぶと、待ち構えていた裸男たちが一斉に袋を目掛けて飛びかかる。やがて短刀で袋が裂かれ、中の小間木がこぼれ落ちる。この小間木(護符)を持っていると災厄を免れるという。

ヌルデ:ウルシ科の落葉の喬木で、別名(地方名)は将軍木(かつのき)と呼ばれる。

本堂の格子(内陣と外陣の間)に登り 蘇民袋の出現を待つ


格子に張り付く男たち
撮影:鈴木藤男さん


本堂(薬師堂)外陣での蘇民袋の争奪戦 (堂内は肉弾相打つ争奪戦の場と化す)

小間木がこぼれ落ち、空になった袋もろとも裸男たちは境内を出ていき、2時間ほど激しい争奪戦が明け方まで繰り広げられる。最終的には袋の首の部分を握っていたものが取主(とりぬし)となって争奪戦は終了する。
補足:平安時代の蝦夷(えみし)の酋長〔阿弖流為(あてるい)〕の首にみたてて、蘇民袋を奪い合う。阿弖流為(あてるい)は、胆沢(いさわ)地方に勢力をもつ蝦夷(えみし)の首領であり、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)率いる大和朝廷軍と戦い、後に処刑された。



争奪戦は本堂から外へと移動していく

午前6時過ぎ、50人くらいの男たちがどっと参道を駆け下り、国道に飛び出した。さらに雪の野原で袋を奪い合う。白々と夜の明け始める午前7時前、取り主が決まり、壮絶な戦いは終わった。

最後は田んぼの中で蘇民袋を奪い合う

夜を徹して行われた蘇民祭の行事が全て終わった。参加した男たちは裸のまま、来た道を引き返す。袋は最後に裁断され、切れ端が参加者に配られ、お守りにされるという。この祭りが終わると、みちのくにも春が近い。


H18年は雪の中での争奪戦となった。名誉ある取り主は花巻市の菊池長吾さん(45)。参加24回目のベテランで、2年連続5回目の取り主となった。菊池さんは副賞の米30Kgの俵を担ぎ上げてご満悦。今年1年の御利益が授かると共に、今年誕生したばかりの新花巻市には豊穰多福があるに違いない。

雪上の争奪戦




取り主の菊池さん
資料
資料

蘇民袋争奪戦の取り主決定
勝負判定については、自力で他を振り払い、袋を本堂(薬師堂)の右手にある御供所(ごくしょ)に届けた者、又は長い時間、袋の閉め口(首の部分)を持ち続け、審判の認めた者(取り主1名)、準取り主(若干名)。閉め口より順位が決まる。(蘇民祭パンフレットより抜粋)





千年以上の歴史を誇る黒石寺蘇民祭は、昔は素裸で行われていたという。今は原則として褌の着用を義務付けているが、何人かは昔の風習を受け継ぎ素裸で参加している。この蘇民祭も存亡の危機にあるという記事を目にした。蘇民袋作り、鬼子(おにご)の減少(数えで7歳の男児2人)、そしてルールを守らない参加者や観衆の増加等々の問題があるようだ。日本三大奇祭として名高い黒石寺蘇民祭が、このような状況になっていることを知り驚いた。諸々の事情がある中で、保存会や警備員の人たちにより継続されているとのことだが、是非とも存続して後世に伝承されていくことを願う。最後に、この作品に写真を使用させて頂いた、鈴木藤男さんに感謝します。有難うございました。
鈴木藤男さんのサイト         鈴木藤男さんの蘇民祭はこちらから


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