2008年1月13日作成
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長崎県島原市
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島原市(しまばらし)

長崎県南東部・島原半島の中心都市。島原城や武家屋敷など旧城下町の街並みが残り、市内に豊富な湧水群のある観光都市でもある。有明海を介して、フェリーや高速船で結ばれている対岸の熊本市や大牟田などとの関係も深い。諫早から島原鉄道で約1時間15分ほどで島原駅に着く。


島原鉄道で島原駅に着く


城郭造りの島原駅

島原城

島原城は元和4年(1618年)から松倉豊後守重政が、当時森岳と呼ばれた高地を城の形に切とって石垣を積み、堀を造って7年の歳月を費やして築いたもので、白亜五層天守閣を中核として大小50の櫓を要所に配し、安土桃山時代の築城様式を取り入れた城である。その後、明治維新により廃城が決定、明治7年解体され、以来90年、天守閣無き城跡だけがその面影をとどめたが、昭和35年に「西の櫓」を復元、次いで昭和39年「天守閣」、48年「巽の櫓」、55年「丑寅の櫓」などが矢挟間・鉄砲狭間を備えた長塀とともに復元された。


島原城天守閣
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白い五層の天守閣


島原城にある日蓮上人の像(西望記念館)


天守閣からは有明海が一望

島原武家屋敷通り
島原城の西にある下級武士の住宅地。通りの中央に湧水が流れ、路面は舗装せず、両側に重厚な石垣塀が続く。現在、保存されている武家屋敷は、延長406.8m、幅長5.6mの町並みで、山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒が一般に無料開放され、当時の武家生活の様子が偲ばれる。

湧水が流れる武家屋敷通り


茅葺きの武家屋敷(篠塚家住宅)


中に入ると武家生活の様子が偲ばれる


茅葺きの武家屋敷(山本家住宅)

鯉の泳ぐまち
昭和53年、地域の町内会が中心となって、子供たちの感性をはぐくみ、豊かな湧き水を後世に残し、また観光に活かそうという趣旨のもと、町内の清流に錦鯉が放流された。「鯉の泳ぐまち」は地域住民の方々によって美しく保たれ、紅白、黄金等の錦鯉が清流の中で泳ぐさまは、水の都島原の見所のひとつとなっている。

街の清流の中で鯉が泳ぐ


足湯もある島原の街

ねはん像 
江東寺の境内にある。昭和32年島原城を築いた松倉重政、島原の乱の際、原城総攻撃で戦死した幕府軍の総帥である板倉重昌を追善しようとのことから、この地に説法ねはん像が建立された。足の裏には、大法輪の相(仏足石)が刻まれ、頭部には、信者による写経一万巻が納められている。

全身8.6m、高さ2.12mの「ねはん像」



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