2005年05月19日作成
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福岡県柳川市 

                 

      





御花(おはな)
藩主「立花家」第四代 立花鑑虎が、1697年(元禄10年)、当時「花畠」という地名であったこの地に、別邸を構え遊息の地としたことから、当家あるいは、敷地など全体のことを柳川の人々は「御花」と呼んできました。
「御花」もまた、その水郷柳川のシンボルとして、柳川を訪れる多くの方々に愛されています。


西洋館
明治43年に立花家の迎賓館として建てられた鹿鳴館様式の流れをくむ伝統ある建物です。当時は要人たちを迎えた園遊会が催されていました。白亜に輝くその美しさは明治の面影を今に伝える柳川情緒のシンボルとなっています。邸内には今も多くの生活品が当時のままに保存されています。

御花の玄関口に建つ西洋館
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国指定名勝 松濤園(しょうとうえん) 
御花にある松濤園と呼ばれる庭園は、日本三景松島(宮城県宮城郡松島町)の景を模した設計で、園内約280本の松は樹齢200年〜300年です。大広間前の巨石は、旧天守閣の台石を移したものです。池には毎年10月より4月半ばまで約500羽の野鴨が飛来し、間近に自然の姿を眺めることができるのでも有名です。昭和53年、国の名勝に指定されました。

巨石と松の庭園「松濤園」
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御花から徒歩で10分くらい歩くと北原白秋の生家がある。造り酒屋であった白秋の生家は、明治34年の大火で大半は焼失したが、母屋だけが残った。昭和44年に県文化財史跡の指定を受け、この母屋を復元し現在に至っている。中には遺品や写真など、白秋ゆかりの資料が展示されています。

復元された北原白秋の生家 

北原白秋
近代日本の大詩人である北原白秋は明治18年に柳川市沖端に生まれた。16歳の時より詩歌の創作に熱中し、大学の時には早くも詩壇に知られるようになります。「水郷柳川は我詩歌の母体である」と述べ、57歳で亡くなるまで生涯柳川を愛し、「からたちの花」「ペチカ」「この道」など、多くの名作を世に送り出しました。「思ひ出」「水の構図」などの詩集を開くと、柳川の風景を綴った詩が数多く残されています。

 いらっしゃ〜い、うなぎ、おいしいですよ!

柳川の名物はうなぎのせいろ蒸しが代表的である。この界隈にもうなぎ料理店がたくさんあった。上の写真のように店の人が割引券を配って観光客を引き込もうとしている。どこでも商魂たくましい。

                   うなぎを焼く人  (美味しそうなにおいがしています)
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ゆっくりゆっくりと下っていく観光客
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並倉(なみくら)
川下りコースの外堀と内堀の分岐点にあるこの並倉は、水面に映えるレンガ壁の赤が美しく、柳川の観光写真に必ず登場する名所です。平成12年12月に国の登録文化財に指定されました。現在も、造り味噌の工場として使われています。表に回って表札を確認してみたら”鶴味噌醸造株式会社”と掲げられていました。

異国情緒が漂う並倉
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内堀と外堀コースの分岐点で竿のクロス
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この並倉は明治後期の建物で、この赤レンガが造り出す水の構図は柳川風物のひとつとなっています。映画のロケにも利用されていて特に人気があります。また絵画の題材にもよく使われています。

内堀コースへと曲がっていくどんこ舟
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 赤煉瓦の並倉 
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水郷のまち柳川はゆっくりと時間が流れていきます。あくせくした現代に生きるひとには心を癒すのにぴったりのところです。どんこ舟による川下りは、ひととき日常を忘れてしまいそうです。そして春夏秋冬に風情を変える柳川はいつ訪れても郷愁を誘うまちなのではないでしょうか。日本人の忘れかけていたふるさとを、そこに見つけたようです。またいつの日か違う季節に旅してみたいものです。
2005年5月4日撮影: ニコン D70   285枚(408MB)  




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