2005年8月5日作成

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兵庫県明石市


                   





やがて氏子たちは漁船に乗り込んだ。漁船は報道船を含めると一番船から七番船まであり、それぞれに総代、役員、子供、六人衆、猿田彦らが分乗している。神輿と太鼓も積んで、松江海岸沖の赤石へと向かった。

漁船に乗り込む若者
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手助けを借りて乗り込む
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おしゃたか舟は漁船に紐でくくられ曳航(えいこう)されて行く。時代が変わってこのような形になったのであろう。

おやたか舟を海面に投げ込む
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おしゃたか舟を曳航する漁船


明石海峡大橋と赤石(あかいし)に向かう漁船
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松江海岸沖の赤石(あかいし)は明石の地名となった所である。この海上で宮司が宝剣を海に献上する儀式が行われて海上の安全と豊漁を祈った。港で待っていると30分ほどして全員が漁港へと帰ってきた。

明石漁港に帰って来た漁船


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褌一丁で接岸する氏子青年


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波止場に立つ

漁港で無事に神事が終わったことを祝い、関係者一同集まって終わりの儀式が執り行われた。

「おしゃたか舟神事」の終わりの儀式
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祭壇の片付けも終わり誰も居なくなったころ、宮司がお清めの塩を海に向かって撒いて全ての神事が終わった。

海に向かって清めの塩を撒く宮司
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昔は明石から淡路島近くまで泳いで行き神様を迎えていた神事であるが、時代のすう勢により今では近くで行われるようになったとのこと。青年たちが「おしゃたかぁー」と叫びながら小舟を投げていく様は力強くもあり、また厳かな雰囲気を醸し出していた。そしてこの伝統の神事が、代々伝えられて来たことに地元明石の漁民たちの熱意を感じた。
今回の取材を通して残念だったのは、報道船に乗り遅れてしまい、赤石(あかいし)海上で宝剣を献上する儀式が撮影出来なかったことである。また機会があれば是非撮影したいと思っている。
 2005年7月17日撮影: ニコンD70  480枚(649MB) 
  


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