2005年10月3日作成

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兵庫県赤穂市(大避神社)


                   





続いて赤と黄色の鉢巻をした青年がバタ板の上にあがった。手には塩見町の幟を持っていてこれを投げ合う。

バタ板上の塩見町の青年
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下で支える若衆組
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今度は斜めになったバタ板の上を、黄色い鉢巻を締めた男が先端までよじ登っていった。何をするのだろうか。

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バタ板を懸命によじ登る

青年の前には長い竿の上部にくす玉とそれをを割るための引き綱が垂れている。男が引き綱を一気に引くと見事にくす玉が割れ、色鮮やかな紙吹雪が宙に舞った。

くす玉を割ろうとする青年
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綱を引きくす玉を割った瞬間


「祝・潮見町櫂伝馬」の垂れ幕が現れた
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次にバタ板練りというパフォーマンスが行われた。バタ板を抱えた男たちが観客の方に突っ込んでいくと、思わず飛び跳ねるように逃げる人や立ちすくむ人もいて、会場はどよめいた。

観衆に突っ込むバタ板
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観衆を沸かせた余興が終わり、神輿を神輿船に載せる作業が始まった。バタ板の先を砂浜に差し込み、少量の砂をすくい上げてそのまま神輿船にかけた。これは昔からの風習なのであろう。

砂をすくい上げて神輿船へと向かう
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7枚のバタ板が全てかけられた。海水で浄められたあと、午後3時半過ぎに、神輿が神職らに担がれてバタ板を渡り、神輿船に移された。これからが生島に向かっての船渡御の始まりである。

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バタ板を渡る神輿

渡御船の構成は、2隻の櫂伝馬を先頭に、三番が獅子船、四番から八番までが頭人船、九番が楽船、十番が神輿船、十一番が警固船、最後が歌船で全部で12隻である。この12隻が綱で繋がれ船団となって巡航する。

坂越湾を巡航する渡御船団
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神輿船の神職と神輿
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一列縦隊となって沖に向かう渡御船団

渡御船団は、日が傾き暗くなり始めた坂越湾をゆっくりと進んで行った。沖で方向を東に転じ、樹林に覆われた生島に到着して、大避神社の御旅所に乗り入れた。このあと獅子舞が奉納され神事が執り行われた。生島での祭礼が終わる頃になると辺り一体は闇に包まれた。

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生島の御旅所に上陸する一行






  
この祭りは祈願祭から始まり、獅子舞、宮出し、船漕ぎ、バタ板練り、船渡御と多彩な催しがあり、中々見ごたえがあった。そして三百数十年も前からこのような素晴らしい祭りが伝承されていることに対して畏敬の念を感じた。また夕方から篝火が焚かれる中で、神輿が御旅所から引きあげ、帰還する幻想的な宮入りが行われたが、豪雨により断念せざるをえなくなり、最後まで撮影出来なかったのが残念であった。
 2004年10月10日撮影: ニコンD70  946枚(1382MB) 
  

 

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