2005年2月26日作成
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岡山県岡山市金山寺(かなやまじ)

    

                   

       




 

毎年2月の第1土曜日に、岡山県下のトップをきって行われる金山寺会陽(きんざんじえよう)は、600年以上続く伝統行事です。金山(かなやま)の中腹標高約350メートルにある、備前48か寺の天台宗本山として栄えた金山寺の境内で裸姿の男たちが、宝木(しんぎ)を求め激しい争奪戦を繰り広げました。
当日、午後9時30分に住職が本堂から5本の副宝木を投げ入れ前哨戦がスタートする。続いて10時30分熱気に包まれた境内の裸群に陰陽2本の宝木が投下され、怒涛の肉弾戦を繰り広げるのである。
午後11時過ぎ2組の福男が勇んで宝木をいったん寺に奉納し、改めて世話役が祝主宅へ出向き、行事の終わるのは夜明けころとなるという。2005年2月5日(土)に行われた会陽を撮影した。





岡山市郊外の金山寺(かなやまじ)という場所にある天台宗の古寺。平安から鎌倉時代の古文書(こもんじょ)には金山寺(きんざんじ)あるいは金山観音寺と記され、近世には銘金山観音寺遍照院とも呼ばれ、遍照院が寺中を代表する本坊としての役割を果たしていた。寺は、古文書や「金山観音寺縁起」、「遍照院中興縁起」によれば、749年(天平勝宝元)に報恩大師が創建し、大師自作の千手観音を本尊とし、京都清水寺の本尊と同木異体と伝えられる観音霊場に始まる。その後、1069年(延久元)、1178年(治承2)の二度に渡り回禄するも、その都度再建された。治承の再建にあたっては、備中吉備津宮の社家出身の葉上房坊栄西によって灌頂堂、護摩堂その他の堂宇が新造され、葉上流灌頂を伝え、栄西入宗時の伝来の品々が残されている。境内には、三重塔(県重文)、本堂(重文)、仁王門(市重文)が南北に高低差を持って配され、護摩堂(県重文)や開山堂、灌堂、経蔵、客殿、書院、庫裏等の建造物が経ち並ぶ山上伽藍を形成している。


金山寺三重塔
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岡山県南部を中心に、会陽あるいは裸祭りと呼ばれる行事が伝承されている。岡山市の西大寺(さいだいじ)、金山寺(きんざんじ)、美作町(みまさかちょう)の安養寺(あんようじ)などでは現在も行われており、備前市の恵美須宮、落合町の木山寺などでもかつて行われていたことが知られている。
   宝木(しんぎ)を得た者は福を得ると信じられており、裸で参集した大勢の人々が、御福窓(おふくまど)から投下される宝木(しんぎ)を奪いあう。
   この行事は、年始にあたって国家安泰や万民豊楽、五穀豊穣を祈願する修正会(しゅしょうえ)が民俗行事化したもので、民間信仰の変遷を知る上でも貴重な行事である。岡山県内では同種の行事が複数存在していたことが知られているが、一部を除いて衰滅しており、現在継承されているものも習俗の消滅や変容が見られるなど、衰退・変貌の恐れが高い行事でもある。


受付で記帳する


境内の中の社務所が着替えの場所である。夜の7時過ぎになると続々と参加者たちがやって来て、各部屋が満杯となる。廊下も着替えをする人であふれる状態となった。

                   いざ!褌を締める                   
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                         褌を締める 二人組み                                        


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            褌締め始め                   


褌を引っ張る人


  2月上旬の夜は、身を切るような寒さである。境内では暖火が焚かれ、始まりを待つ裸達であふれる。

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                                       始まりの予感                                               


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六尺褌で暖をとる


9時前になると社務所から出て、清水を口に含み、そして体にかけて争奪戦に向かう。

気合水を含む!! 
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裸達は本堂で祈りを捧げたあと、すぐ横の境内の広場へと向かった。

              本堂での祈り               


       

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