2007年7月3日作成

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広島県 山県郡 北広島町 壬生


 
                   




壬生(みぶ)の花田植の由来
広島県の芸北地方には古くから囃し田という行事があった。ささら(割り竹)を手にしたサンバイが指揮し、男たちが太鼓や笛、手打鉦(てうちがね)を鳴らして囃し立て、早乙女が田植唄を歌いながら田を植えた。これは田の神を祭って稲作の無病息災と、豊穣を願う農耕儀礼であるが、同時に苦しい田植えを楽しくしようとする方法でもあった。江戸期に入ると有力な地主や庄屋の中には、自家の田植えに大勢の人々を集めて盛大に囃し田をする者がいた。これに参加する牛には、金銀の花鞍(はなぐら)に造花や幟を立て、その豪華さを競った。早乙女たちは着飾り、晴れ舞台にのぞんだ。その様子があまりにも美しいので「花田植」と呼ばれるようになった。
*「サンバイ」 (中国・四国地方で、田の神のこと)。 当て字は「三拝」と書く。 ここ花田植では指揮者をいう。

田んぼに入る飾り牛
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代かき(しろかき)
午後1時半ごろ、道行きを終えた飾り牛や田楽団が、志路原(しじはら)川沿いにある花田植会場にやってきた。まず、飾り牛が一列になって田んぼに入り、代かき(しろかき)をして田を軟らかくする。

「農宝」 飾り牛


力強く進む飾り牛


一列になって耕していく
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牛の背には飼主の幟が立つ

飾り牛はこの日のために飼われており、他県からも来るという。今年は14頭が出て、代かきを行った。飾り牛の晴れ舞台(代かき)は、花田植の見どころのひとつとなっている。

人と牛が一体となっての 代(しろ)かき
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黄金の鞍を載せた飾り牛


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一直線に進む飾り牛

飾り牛の調教にはおよそ半年が必要とされ、やっとならした牛も寿命は短く、後継牛が悩みの種だという。代かきの方法も、「屏風がき」や「8の字がき」など数あるというが、ともあれ牛と追い手の一体感は実に見事である。

鋤(すき)を引く飾り牛


ノスタルジックな風景


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若人の追い手

現在は機械化された代かきであるが、目の前で昔ならではの人力での代かきが再現され、郷愁を感じさせる。14頭の牛の追い手の中に一人だけ女性がいて、華を添えていた。

紅一点の追い手
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追い手の腰蓑が郷愁を誘う


代かきの風景


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