2007年9月21日作成
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岡山県岡山市 (西大寺観音院)


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西大寺会陽(さいだいじ えよう)

毎年2月の第3土曜日の夜に、西大寺観音院の境内で行われるこの祭りは、岩手県黒石寺の蘇民祭、大阪市四天王寺のどやどやと並び、日本三大奇祭として知られている。深夜零時に御福窓(ごふくまど)から住職によって投下される2本の宝木(しんぎ)をめぐり、数千人の裸群が激しい争奪戦を繰り広げる、日本屈指の裸祭りである。


西大寺観音院の本堂
2005年2月撮影


会陽事始式3日後の午前零時に宝木取り向かう 裸の順路

資料写真より 資料写真より

2007年 西大寺会陽
降りしきる雨の中、日本三大奇祭のひとつとして知られる「西大寺会陽」が2月17日深夜から18日未明にかけ、岡山市西大寺中の西大寺観音院で開かれ、約9千人の裸の男たちが、福を呼ぶ陰陽一対の宝木(しんぎ)を求め、激しい肉弾戦を繰り広げた。あいにくの雨でも勇壮な裸祭りを一目見ようと、大勢の観衆が訪れた。

旧年の厄をおとす垢離取場(こりとりば)

西大寺会陽では裸の男たちを単に裸(はだか)と呼ぶ。また、企業で参加している団体は「企業はだか」と呼ばれている。午後9時半過ぎ、裸のトップを切って、外国人のグループが垢離取場に飛び込んできた。

垢離取場(こりとりば)に飛び込む


垢離取場(こりとりば)から上がる


なだれ込む男たち


境内へと向かう


国際的な会陽(海外からの参加者)

仁王門から入ってきた裸たちは、宝木の争奪戦前に何回となく垢離取場の冷水で身体を清め、本堂の大床に上がり、福が授かるように祈願する。

垢離取場の観音像を一周


腰まで水に浸かる裸(はだか)
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会陽(えよう)の起源

会陽の歴史は遠く奈良時代に始まる。東大寺良弁(ろうべん)僧正の高弟、実忠(じっちゅう)上人が創始した修正会即ち新年の大祈祷を開山の安隆上人が伝え、毎年旧正月元日より14日の間厳修されていた。永正7年(1510)忠阿(ちゅうあ)上人の時、修正会の結願の日参詣の信者に守護札を出したところ、これを戴く者は福が得られると希望者が続出し、やむなく参詣者の頭上に投与したので奪い合いとなり、身体の自由を得るために裸となり、無垢の信仰心は水垢離となり、遂に修正会と不離一体の今日の会陽の形が成り立ったと伝えられている。


雨の中走り抜ける 裸(はだか)


外国人の雄姿
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午後11時前になると「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声とともに裸たちが続々と町に繰り出して来る。スクラムを組んでやって来る団体が多い。降りしきる雨の中でも、裸たちには容赦なく力水がまかれる。

力水をかぶる裸たち
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境内に向かう企業はだか


横断幕を持つ企業はだか


ワッショイ!ワッショイ!


商店街を抜けて境内に向かう

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