2007年3月18日作成
クリックで写真拡大
   静岡県 磐田市 (見付天神社)

  




男たちが乱舞する拝殿の鬼踊りは午後11時頃から日付が変わる零時過ぎまで行われた。1時間を超える鬼踊りは、やがてクライマックスを迎えて、歓喜の中で終演を迎える。


鬼踊り (NO44)


鬼踊り (NO45)
クリックで拡大


鬼踊り (NO46)


踊り終え 拝殿の奥で着替えする 先供(さきとも)


拝殿の外で一服するお父さんたち

日付が変わった午前零時15分頃、手に榊(さかき)を持った男たちが拝殿から一斉に出てきた。淡海国玉(おうみくにたま)神社(総社)に向けて神輿渡御(おわたり)の始まりである。拝殿に近くに山神社がある。山神社前では火が焚かれ、渡御(おわたり)に先立ち神事が行われる。


榊(さかき)を手に持ち拝殿から飛び出す男たち


たいまつを持ち山神社に向かう神職


山神社のお渡り神事


山神社前で宮司が祝詞を奏上

やがて見付全町一斉に灯火が消され、男たちが漆黒の闇の中を神輿(みこし)を肩に担ぎ、参道を駆け下り、総社まで疾走する。この間はフラッシュ撮影は禁止となっている。赤外線での撮影のみが許される世界となる。このように渡御(おわたり)は厳粛な中で行われる。


総社(そうしゃ) 拝殿
   淡海国玉(おうみくにたま)神社(総社)
旧見付学校北に隣接して鎮座する。創立年は不詳で
あるが、平安時代に書かれた「延喜式」にはその名が
見られる。遠江国の総社(そうしゃ)である。社殿は、
本殿・幣殿・拝殿からなる。総社という呼び名は、国司
が国内(ここでは遠江の国)の神社を巡拝するのに便宜
をはかり、総社をお参りすれば国内のすべての神社を
お参りしたのと同様とされた。つまり遠江の各神社の
神様が祀られているということを表している。

無事に総社の拝殿に渡御された神輿(みこし)

神輿が総社の拝殿に入ると、一斉に町の灯りが点灯される。 神輿の後を追って疾走してきた男たちは、総社の境内で腰蓑を外して、一個所に腰蓑を納め、各地区へと帰って行く。時刻は午前1時頃となる。


腰蓑を納める男たち (NO1)
クリックで拡大


腰蓑を納める男たち (NO2)


腰蓑を納める男たち (NO3)


腰蓑を外した男たち (NO1)
クリックで拡大


腰蓑を外した男たち (NO2)
クリックで拡大


腰蓑を外した男たち (NO3)


男たちの汗をたっぷり吸い込んだ 腰蓑の山

神輿還御

日付が変わったこの日、総社にて神事が執り行われた後、午後5時、見付天神社に向けて還御の御神幸の運びとなる。天神社の拝殿前に到着した神輿は、男たちによって何回も練り上げられ、拝殿に納められる。その後、御神霊移御の本殿祭が執行され、8日間にわたって行われた「見付天神裸祭」の幕は下ろされる。







天下の奇祭として名高い「見付天神裸祭」の大祭を、浜垢離に続いて撮影した。勇壮な鬼踊りとは対照的に御輿渡御の際は、町中の灯りが消され真っ暗となり、静寂なる気配に感動し身震いした。
話は変わるが、作品を編集中に次のような記事を目にした。
『4年前までは、肌着を身に着け、ふんどしでないパンツスタイルの若者が“横行”。「オイショ、オイショ」のかけ声とともに練り歩く男衆の行列も統一感が薄れつつある。「伝統を守らなくては」と、保存会ではふんどしに腰蓑、鉢巻の正装をチラシなどで周知徹底。一時は荒々しさが目立った祭りは、古来の格式を取り戻してきた』 と載っていた。
このように保存会や町民の努力により伝統の裸祭りが伝承されていることを知った。これからも裸文化を曲げることなく、ふんどしに腰蓑スタイルを貫いていって欲しいと願っている。

 2006年9月30日撮影: ニコンD70  1065枚(1491MB) 


Copyright (C) 2004-2007 Akio Chiba. All Rights Reserved..