2006年11月19日作成
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兵庫県姫路市白浜町

 
                  

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灘のけんか祭り

姫路市白浜町の松原八幡神社で行われる、秋季例大祭の総称で、「灘祭り」「妻鹿のけんか祭り」とも呼ばれている。一の丸、二の丸、三の丸の、神が乗り移った3基の神輿をぶつけ合う神事によって、戦前から播磨を代表する祭りとして知られている。戦後はこの神輿行事のほか、豪快な屋台練りが人気を呼び、全国の数ある「けんか祭り」のなかでも最大級の祭りといわれ、国内はもとより海外にまでその名を知られている。10月14日が宵宮で、翌15日に本宮が行われる。


松原八幡神社の楼門



松原八幡神社の拝殿
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灘のけんか祭りの祭礼地域は、兵庫県姫路市の旧灘七カ村のうち、現在の地名でいえば、東山(旧東山村)・八家(旧八家村)・木場(旧木場村)・白浜町(旧宇佐崎村・旧中村・旧松原村)・飾磨区妻鹿(旧妻鹿村)を合わせた地域で、この地域の氏子たちが参加して行われる。

松原八幡神社拝殿に奉安されている神輿 祭礼地域マップ
 
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10月15日本宮の当日、午前9時過ぎに各地区からやってきた屋台が松原八幡神社に順次宮入りする。順番は東山(ひがしやま)・木場(きば)・松原(まつばら)・八家(やか)・妻鹿(めが)・宇佐崎(うさざき)・中村(なかむら)の順となっている。但し本宮では、その年の神輿の練り番が当たっている地区は屋台を出さず、大幟と神輿幟を持って最後に宮入りする。今年は八家地区が練り番を務める。練り番は7年に一度回ってくる大役でもある。

宮入りする 東山(ひがしやま)の屋台


屋台を担ぐ練り子
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宮入りした東山の屋台


お迎え提灯を持ち 宮入りする木場(きば)の氏子
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東山の練り子
松原八幡神社
山陽電車・白浜の宮駅下車、南へ徒歩5分ほどのところにあり、旧灘七村の
ほぼ中央に鎮座する。御祭神として、本殿中殿に品陀和気命(ほんだわけのみこと)
左殿に息長足姫命
(おきながたらしひめのみこと)、右殿に比大神(ひめおおかみ)の三神
が祀られている。763年(天平宝字7年)、九州の宇佐八幡宮より分霊を勧請
(かんじょう)して創祀されたのが始まりと伝えられているが、本格的な造営は、
伏見天皇の寄進によって社領を得、後小松天皇の明徳年中(1390〜1394年)
に本格的な社殿が建立されてからといわれている。
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肩に食い込む屋台
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宮入りした木場の屋台

灘のけんか祭りの起源

松原八幡神社は中世においては源氏を中心とする氏神として、赤松円心の庇護する多数の僧兵を抱えた神社になった。その後、応仁の乱で社殿は焼失されたが、1558年(永禄元年)赤松政則氏により再建された。このとき氏子中は喜びに湧き、米俵数百俵を御旅山の山頂にある社殿前に積み上げた。灘のけんか祭りの屋台練りはこれを契機に始まったと伝えられている。


拝殿に向かって走る氏子


拝殿の鈴緒に取り付く若者


勇壮な妻鹿(めが)の獅子壇尻

6台全ての屋台がそれぞれの位置に据えられると、練り番の地区の宮入となる。本幟と3本の神輿幟を押して立てて、一気に拝殿前へと走り込む。氏子達は拝殿前から楼門南側にある鳥居まで2、3度走って往復する。これは昔、鳥居のところまで海が広がっていて、そこで潮かきをし、身を清めた故事に基づいたものである。

楼門前で練り合う 中村の屋台


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楼門前の広場で松原屋台が勇姿を披露

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