2014年4月12日作成
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沖縄県糸満市
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沖縄平和祈念堂        
沖縄平和祈念堂は、沖縄県民はじめ全国民の平和願望、戦没者追悼の象徴として、昭和53年(1978年)10月に建設されました。堂内には、沖縄が生んだ傑出した芸術家山田真山氏が 18年余の歳月をかけて原型を制作した沖縄平和祈念像が安置されています。沖縄平和祈念堂は、“美と平和の殿堂” として訪れる人々に戦没者を追悼する役割を果たすと共に沖縄戦終焉の地・摩文仁(まぶに)から世界に向けて恒久平和の実現を訴え ています。

沖縄平和祈念堂


平和祈念公園
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沖縄平和祈念堂に安置されている沖縄平和祈念像
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沖縄平和祈念像(高さ約12m,幅8m) 沖縄の伝統的漆工芸技法が使われている


「平和の礎」には、沖縄戦における全戦没者24万人余の氏名が刻まれている


 沖縄戦の写真や遺品などを展示した平和祈念資料館


平和祈念資料館から見た平和祈念堂方面


平和祈念資料館から見た「平和の礎」方面


平和祈念資料館の赤い屋根


平和祈念公園は本島南部の「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘陵にあり美しい海岸線が眺望出来る




ひめゆりの塔  糸満市
太平洋戦争末期、1945年(昭和20年)3月23日に米軍の沖縄上陸作戦が開始された。沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校から、生徒222名、教師18名が那覇市の南東5キロにある南風原(はえばる)の沖縄陸軍病院に動員され、そして、そのうち136名が戦場で命を落とした。ひめゆりの塔は学徒の犠牲者を合祀している慰霊塔である。

ひめゆりの塔の入り口


ひめゆりの塔の入り口ににある石碑


犠牲者の名を刻んだ慰霊碑と「ひめゆりの塔」
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慰霊塔の前に穴があいていて洞窟となっている(当時この洞窟が病院として使われた)





伊計島 (いけいじま)
沖縄中部、海中道路を抜けて最後にたどり着くのが周囲7kmの伊計島。伊計大橋を渡ってすぐの伊計ビーチはきめ細かな砂浜が広がり、透明度が高く、海水浴やキャンプで訪れる観光客で賑わいます。海岸沿いに奇岩絶壁が多く、好釣場としても知られている。

海中道路から伊計島遠望


伊計大橋


透明度が高い伊計ビーチ

伊計島 仲原遺跡(なかばるいせき)  うるま市
伊計島のほぼ中央にあり、東西約200m、南北約100mの範囲に広がる沖縄貝塚時代中期の集落跡です。1978年に発見され、竪穴住居跡や石灰岩の上に粘土を張って床をつくった住居の跡などが確認されています。また、住居跡内に埋葬された人骨や土器、石斧なども出土されています。現在では竪穴住居跡が復元され、史跡公園として整備されています。

イチの里  仲原遺跡


復元された竪穴住居跡


石灰岩で囲まれている復元住居跡



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