2014年4月12日作成
沖縄県中頭郡
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読谷(よみたん)やちむんの里 
那覇から車で50分ほど北上した読谷村(よみたんそん)の山中にある工芸村。読谷村は沖縄でも有数の焼物の産地で、3つの登り窯が集っています。「やちむん」とは沖縄で焼物のことで、やちむんの里は陶芸家の方々が集まって出来た里です。

読谷山(ゆんたんざ)窯 共同売店 


ギャラリーの庭先に並べられている読谷焼(販売しています)


登り窯・読谷山窯(共同窯)NO1


やむちんの里の各工房


読谷焼の元となる赤土がいたるところで見られる


読谷焼の赤瓦


登り窯・読谷山窯(共同窯)NO2
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登り窯の一番下の部分




沖縄旧海軍司令部壕 (沖縄県豊見城市)

旧海軍司令部壕は、地上戦が行われた沖縄戦の司令部があったところで、1944年に山根部隊によって掘られた司令部壕です。当時は450mあったと言われ、現在はその一部が公開されています。約4,000名の兵士が壮絶な最後を遂げた壕内は、司令官室、作戦室などが当時のまま残され、戦争の悲惨さ過酷さを訴え、平和を願う場となっています。


小高い丘に建つ「海軍戦没者慰霊之塔」


海軍壕公園ビジターセンター(壕内で発見された戦争当時の遺品や戦争関連資料が展示されている)


ビジターセンターから壕へ続く階段(通路が縦横に張りめぐらされた壕内へと続いている)


壕内の見取り図


下士官兵員室(当時兵士たちが立ったままで睡眠や休息を取ったと言われている)


地下壕内の通路(戦争の事実を今に伝える貴重な遺産として保存されている)


司令官室(壁面には拳銃自決した大田司令官の愛唱歌が残されています)
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当時を偲ぶ写真(司令官室での作戦会議の様子)

幕僚室の壁には手榴弾で自決した時の破片の跡が生々しく残っている。また壕内は迷路のようになっています。


幕僚室の壁面にくっきり残っている手榴弾で自決した時の破片の跡


海軍戦没者慰霊之塔のすぐ近くに沖縄式の大きな墓があります


海軍壕公園の展望台からは東シナ海、那覇市街、首里城が展望できる



 2013年9月中旬撮影 



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